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今から30年前のこと。

僕の所属していたボーイスカウトの団が、沖縄連盟から米軍ホワイトビーチ基地内で行われる大規模なキャンプ行事にご招待いただいた。

目の前に歩いて渡れる小島がある、白砂の素晴らしいキャンプ地にテントを張り、沖縄のボーイスカウトとの交流行事以外は、目の前の海で泳ごうが日光浴しようが自由だった。
僕たちのキャンプ地から1kmほど先に、陸地から沖合に桟橋が伸びていて、そこには駆逐艦と思われる軍艦が停泊していた。

この基地は米軍の保養地も兼ねていたらしく、基地内には米兵の家族も一緒に滞在していた。僕たちは米兵の娘らしい大胆な水着を着けた白人の女性が向かいの小島に歩いて渡っていくのを眺めたり、遠くの駆逐艦を眺めながら、目の前の海で泳いだりしていた。

当時の内地は海洋汚染が酷く、僕たちはお汁粉のような汚れきった東京の海しか見たことがないから、底まで見通せる沖縄の美し過ぎる海が楽しくて、暇ができたら海に浸かった。

3日目に、米兵とその家族たちは、突如海に入らなくなった。海に足をひたす人もいなかった。
遠くに見える軍艦がいつの間にか駆逐艦から潜水艦に変わっていて、基地内のプールと隣接する事務的なスペースに何かピリピリする空気が流れていたのを覚えている。

米軍からもボーイスカウトの沖縄連盟からも何も言われなかったので、僕たちは引き続き沖縄の海で泳ぎ続けた。


東京に帰って、沖縄行き中にとっておいてもらった新聞を読んだ。
沖縄キャンプ3日目にあたる日の新聞の一面は
「米沖縄ホワイトビーチ基地で放射能漏れ」
だった。

作戦行動中の原子力潜水艦が放射能漏れ事故を起こし、急きょホワイトビーチに停泊した、という記事だった。
わずか1kmほど先で盛大に放射能漏れを起こした潜水艦がいるのを知らず、僕たちは毎日数回海に入っていた。米兵とその家族にはいち早く放射能漏れ事故を知らせて、ボーイスカウトの少年たちには知らせない、という米軍には怒りを覚えたが、後の祭り。

それから数年はかなり不安だったが、特に体に不調が出ず、数年でこのことは忘れてしまった。
30年もたった今は「ハゲたらホワイトビーチのせい」とか「僕がバカなのはホワイトビーチのせい」と冗談を言えるようになった。


福島の人々には、いつになったら笑える日が来るんだろうか。

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